2024年9月24日 写真・RO Labo
花植えステーション

人が花に対して、また花と共に行う営み

2024 参加型プロジェクト

花壇の作品はいつか作りたいと思っていた。 街にはどこにでも花壇があり、市民が何の見返りもなく熱心にお世話をしている。あれだけ人々に愛される花なのに、私たち二人は実はあまり馴染みがない。どちらかというとすぐに枯らしてしまうタイプである。
花の形と色は虫にアピールするためにデザインされたもので、人間が花に惹かれる理由はない。食べがいもないからラスコーの壁画にも描かれていない。なのになぜ人は花に惹かれるのだろう?という素朴な好奇心が始まりだった。
もう一つのきっかけは、これまで私たちは二人だけでなんらかの変わった経験をし、追体験できるよう映像にして見せてきたが、もしかすると、これは経験を独占しているのでは?皆さんと経験を共有した方が良いのでは?と思ったことだ。

一方、穏やかでない時代に政治は注目される。時代の鏡であるアートだから政治的アートも当然増え、「すべてのアートは政治的だ」といつしか言われるようになった。そこで改めて広辞苑で「政治」を引いてみる。すると「人が他者に対して、また他者と共に行う営み」とある。ここで言う「他者」とはおそらく「他人」を指すのであろうが、様々な「他者」と関わってきた私たちとしては、同じ「人」を他者と呼ぶことに窮屈さを感じ、試しに遠い他者「花」に置き換えてみた。
「人が花に対して、また花と共に行う営み」…それはつまり花壇ではないか?
本作は、水戸芸術館の広場に作った「大」「丈」「夫」の形をした花壇に、展覧会会期中に花を植え、育て、維持していく、参加型プロジェクトである。
「花壇クラブ」と呼ばれる有志ボランティアを結成し、花について学び、会議で配色を決め、定期的なミーティングで運営の相談をし、花壇のお世話をする。鑑賞者は、ポスターやフライヤーにあるインストラクションにならい、好きな花を持ち寄り植えることも自由、ただ見るのも自由。シンボルタワー上階の展望室の窓から「大丈夫」がよく見える。
政治的テーマを扱うアートではなく、花を前に土に汚れながら皆で政治を「する」アートの試みだったが、蓋を開けると花を中心に、年齢・職業・性別問わず幅広い層が集まり、酷暑や病気や害虫を乗り越え、ただ花を育てたい一心でそれぞれの得意分野を生かし団結した一夏となった。最後には「花の譲渡会」を行い、ほとんどの「大丈夫」の花がもらわれ、多くの一般参加者の家庭に散っていった。
当初、大丈夫という言葉にはアイロニーも含めたつもりだったが、そんな作家の意図をちっぽけに思わせる程、花壇を中心に愛に溢れた幸福な時間と空間が醸成されていた。